2016年6月30日木曜日

スフラワルディー『照明叡智学』第一部第二巻(1)

第二巻

証明とそれらの原理

諸規則を含む


第一規則
〈命題と推論の描写〉


(16)「命題」(al-qaḍiyyah)とは、それについて真か偽であると言われ得る言説のことである。
「推論」(al-qiyās)とは、承認されるとそれ自体から必然的にほかの言説を[生み出す]諸命題から組み合わされた言説である。
命題のなかでもっとも単純な命題は、叙述 命題(al-ḥamliyyah)であり、ふたつの事物の一方がもう一方であるかないかについて判断される命題である。

例文「人間は動物である」

判断対象は主語(mawḍūʻ)と呼ばれ、判断主体は述語(maḥmūl)と呼ばれる。またふたつの命題が別個の命題であることをやめて、ふたつが結ばれてひとつの命題が作られることもある。もし順接(luzūm)によって結ばれるならば、それは「連続条件命題」(al-sharṭiyyah al-muttaṣilah)と呼ばれる。

例文「もし太陽が昇ったならば、昼である」

命題のふたつの部分のうち、条件節は「前件」(al-muqaddam)と呼ばれ、応答節は「後件」(al-tālī)と呼ばれる。それらから推論を作りたいなら、我々は前件の肯定(ʻayn)を抜き出し、それによって後件を必然的に肯定にするため、叙述命題を結び付ける。

例文「しかるに太陽は昇っている」

というのもそれは昼であることを必然的に生じさせるのだから ;または、前件を否定するために後件の否定(naqīd)を抜き出す。

例文「しかるに昼でない」

というのも昼でなければ太陽が昇らないのだから 。なぜなら、もし順接の前件(al-malzūm)が真なら、必然的に順接の後件(al-lāzim)も真であり、順接の後件が偽なら、順接の前件も偽なのだから。しかし前件の否定や後件の肯定は命題を決定しない 。なぜなら後件は前件よりも一般的であり得るのだから。

例文「もしこれが黒いならば 、それは色である」

より特殊なものの否定や偽によって、必ずしもより一般的なものの否定や偽は生じない。また一般的なものの肯定と真によって、特殊なものの肯定と真も必ずしも生じない。むしろ、ただ特殊なものの肯定と真によって、一般的なものの肯定と真が、一般的なものの否定と偽によって、特殊なものの否定と偽のみが必然的に生じるのだ。もしふたつの叙述命題が逆説(ʻinād)によって結ばれるならば 、それは「離接条件命題」(al-sharṭiyyah al-munfaṣilah)と呼ばれる。

例文「この数は偶数か奇数である」

それはふたつ以上の項から成ることも可能である 。実際のところ、その諸項をすべて集めたり、すべてなくしたりすることはできない。離接条件命題から推論を作りたいならば、そのうちのある項の肯定を抜き出すと、必然的に残りの項は否定される――これは一つでも多数でもありうる――またはある項の否定を抜き出すと、必然的に残りの項は肯定される 。もしその命題に多くの項があり、ひとつ項の否定を抜き出すと、それは残りの項にかんする離接命題であり続ける 。連続命題は、ふたつの連続命題から組み合わせられうる。

例文「もし太陽が昇ったらいつも昼であるならば、太陽が沈むといつも夜である」

それらから離説命題も組み合わせられうる。

例文「太陽が昇ったときに昼であるか、太陽が沈んだときに夜であるかである」

変種は数多いが、天才の持ち主にとっては、法則を学んでしまえば、このような組み合わせは難しくない。知るがよい。順接や逆説を駆使して、様々な条件命題が叙述命題に転換させられるのは妥当である。よって我々は「太陽の上昇は、昼であることを必然的に生じさせる」や「それは夜を妨げる」と言うのである。つまり条件命題は叙述命題の転訛したものである。



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*底本はコルバン校訂版。WalbridgeとZiaiの校訂版も適宜参照。
あくまでも私訳のため、その点をご了承願います。逐語訳よりも、日本語としての読みやすさを優先してあります。また、随時更新する可能性有り。

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