2016年6月30日木曜日

スフラワルディー『照明叡智学』第一部第二巻(2)

第二規則
〈命題の分類〉

(17)条件命題で「~なとき、~である」や「~であるか~である」と言われたとき、その命題が「つねに」や「あるときに」なのは妥当であり、義務である。そうでなければ命題は未決定や誤りである。叙述命題で「人間は動物である」と言われたとき、個々の人間すべてがそうであるか、ただある者だけがそうであるかのどちらかである。人間性それ自体は網羅的である必要はない。もしその必要があったなら、いかなる個人も人間でないことになってしまう。また特定の人間である必要もない。むしろそれは両者に妥当なのである。そして、判断が未決定で誤りでなくなるため、それが網羅的なのかそうでないか決定することにしよう 。個別的な主語をもつ命題を、我々は個別的命題(shākhiṣah)と呼ぶ。

例文「ザイドは書いている」

普遍的(shāmil)な主語をもち、個々のものにたいする判断が決定される命題は次のようである。

例文:「あらゆる人間は動物である」
否定の例文:「いかなる人間も石でない」
というのも、あらゆる命題は肯定と否定、つまり確立と否認をもつのだから。「ある~」によって特定化されているものは次のようである。

例文:「ある動物は人間である(または:ない)」

未決定状態を解消させる語は「量化子(sūr)」と呼ばれる。

例「すべて」や「ある~」など

量化された命題は限定命題(maḥṣūrah)である。全体を限定する命題を我々は「包括命題」(al-qaḍiyyah al-muḥīṭah)と呼ぶ。あるものへの判断が決定される命題を「個別未決定命題」(muhmalah baʻḍiyyah)と呼ぶ。条件的個別未決定命題で我々は「~なとき、~か~かであり得る」と言うことができる。「ある~」には未決定状態もあり得る。なぜなら事物には多数のものがあるのだから。推論中の「ある~」に特有の名前を付けて、たとえばそれをJとしよう。すると「あらゆるJは斯くの如きである」と言われ、命題は包括的になり、誤った未決定状態が解消される。個別命題は、反対や矛盾の一部の局面でしか有益でない。条件命題でも同様に、「ザイドが海にいたなら、彼は溺れるかもしれない」と言われるように。さてこの状態を特定化して、それから網羅的にしよう。すると「ザイドが海におり、彼がボートを持っておらず泳ぐことが出来ないのであればいつでも、彼は溺れる」と言われるが、「ある~」が本質的に未決定であることは否定できない。あなたが学問を探求して事物の「あるもの」の状態を見出そうとするなら、その「ある~」が特定化されない限り、その状態が未決定なままそこで探求される探求対象などありえない。よって、我々が述べた通りにするならば、包括的な命題しかあり得ない。なぜなら個別的事例の状態は学問で探求されないのだから。このとき、命題の規則はより少なく、より正確に、より簡単になる。

(18)知るがよい。あらゆる叙述命題のうちには主語と述語があり、両者の関係性は承認と否認に妥当する。その関係性によって命題は命題になるのだ。その関係性を指し示す語は「繋辞(al-rābiṭah)」と呼ばれる。それはある言語では省略され、関係性を感じさせる何らかの様態が代わりに表記される。

アラビア語での表記例「ザイドは書いている」(zaydun kātibun)
または「ザイドは書いている」(zaydun huwa kātibun)

否定命題(al-sālibah)は、その否定が繋辞を切断するものである。アラビア語では、繋辞を否定するために、否定辞は繋辞に先行していなければならない。

例文「ザイドは書いていない」(zaydun laysa huwa kātiban)

また否定辞が繋辞と結びつき、命題の主語か述語の一部になったなら、肯定的繋辞はその後も存続する。

アラビア語での例文「ザイドは非・書ている」(zaydun huwa kātibun)

上の例では繋辞は存続し、否定を述語の一部にしたのである。このような命題は肯定命題(al-mūjabah)であり、派生命題と呼ばれる 。アラビア語以外では、否定文や肯定文で繋辞の前後関係は考慮されず、むしろ繋辞があり、否定辞が主語か述語の一部であれば、否定辞が命題を切断しないかぎり、命題は肯定命題である。

例文「あらゆる非・偶数は奇数である」(kullu zawjin fardun)

上の例文では、それは非・偶数性の特徴をもつすべてのものに対する奇数性の肯定であり、肯定命題である。精神的な肯定判断は精神的に確立するものにたいしてのみ定められる。個物にかんする肯定文は、個物的に確立するものにたいしてのみ成り立つ。諸条件命題についても、そこに多数の否定辞があっても、順接辞や逆接辞があり続けるなら、その命題は肯定命題である。否定文がほかの状態の考慮なしに否定されたなら、それは肯定命題である。

例文「あらゆる人間が書いているのではない」

上の例文では、ある者は書いていることが可能であり、確定しているのはある者が書いていないことだけである。

例文「人間のいかなる者も書いていないわけではない」

上の例文では、ある者は書いていないことが可能である。連続命題は順接の除去によって否定され、離接命題は逆接の除去によって否定される。

(1)

*底本はコルバン校訂版。WalbridgeとZiaiの校訂版も適宜参照。
あくまでも私訳のため、その点をご了承願います。逐語訳よりも、日本語としての読みやすさを優先してあります。また、随時更新する可能性有り。

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