2016年9月1日木曜日

イブン・シーナーが読んでいたと思われる註釈の状況

イブン・シーナー/アヴィセンナといえば、一昔まえまでは「アリストテレスの註釈を書いた」なんて書かれることも多かった。

この「註釈」という言葉、いろいろ定義は細かいので今回は省くけれども、あくまでも基となるテキストがあって、それにコメントを付ける(何しろcommentaryというのだから)というスタイルだと考えてもらえれば問題ない。

アリストテレス(BC322歿)からイブン・シーナー(980生まれ)に至るまでのだいたい1300年のあいだに、それはもうたくさんの註釈が書かれてきた。

なんとなく、現代の価値観だとオリジナルを書くのが一流で、註釈、コメントは二流というイメージがあるかもしれないけれど、それは現代人の早とちり。むしろ伝統にしっかり依拠しているかどうかというのがとても大事だったりする。

現代の研究論文だって、「完全にオリジナル」な文章はなかなか受け入れられなくて、「出典」「引用」を付けて根拠を示さないと、論文として認められにくいけど、それと同じかもしれない。

じゃあイブン・シーナーはどんな註釈を読んでいたかということだけど、これは完全には分からない。但し、当時のアラビア語世界で流布していたものや、彼自身がコメントで書いているものなどから、ある程度まで絞り込むことができる。

以下では、彼が読んでいたと思われるアリストテレスの『魂について』への註釈が、とりわけアラビア語にかんしてどうなっているか、概観してみたいと思う。(最初に言い忘れていたけれど、中世のアラビア語哲学において、註釈がこんなに大量に書かれたのは『魂について』がダントツじゃなかろうか。そして私は『魂について』以外の状況については余り詳しくないのだ。)

・アフロディシアスのアレクサンドロス(200頃)
彼については、そもそも『魂について』の註釈がギリシア語で現存していないという問題がある。註釈ではなく、彼のオリジナルの『魂について』はギリシア語で現存しているが、こちらのアラビア語訳は現存しない。むしろ『魂について補遺』とでも言うべきMantissaの一部を抜粋した『知性論』が流布し、こちらはアラビア語訳が現存する。イスハーク・イブン・フナイン訳。校訂者Finneganによると、この『知性論』、西方イスラーム世界に比べて東方ではあまり流布していなかったんじゃないかと言っているが、そうでもないようだ。しかし、イブン・シーナーによるアレクサンドロスへの言及などを吟味してみると、アレクサンドロスの意見じゃないものも混じったりしているようで、その全体像が綺麗に伝わっていたかどうかは疑わしいかも。
ほかにも、ギリシア語では散逸してアラビア語でのみ残っている作品も多く、アレクサンドロスを研究しようとする人たち(いるのか?)にとっては、結構うっとうしい存在であると言える。

・テミスティオス(317–390頃)
彼の『魂について』註釈はほぼ完全なアラビア語翻訳が残っている。イスハーク・イブン・フナイン訳。アレクサンドロスの『知性論』なんかに比べて量も多く、ある意味アリストテレス『魂について』の副読本としても読まれていたと考えていいのではないか。それぐらいアラビア語世界では重要。イブン・シーナーもかなりテミスティオスを下敷きにしていると思われる。
そもそもアリストテレスの『魂について』のアラビア語訳自体がいろいろ問題含みなので、「アリストテレスの代わりに教科書的に読まれた」「乗り越えられるべきドグマとしていろいろ批判される」など、ラテン語世界におけるイブン・シーナーの『治癒の書』と同じような読まれ方をされたのかも。
とはいえ、テミスティオスは能動知性内在説で、あれだけアラビア語世界で読まれた割には能動知性内在説を採る人が少ないのは不思議ではある。

・ヨハネス・フィロポノス(490–570)
この辺りからこんがらかってくる。
まずフィロポノス『魂について』註釈は、そもそもギリシア語がおかしなことになっている。テキストは現存しているのだけど、第3巻(表象や知性を論じる、中世ではいちばん重要なところ)のギリシア語として現存しているのは、じつはフィロポノスの弟子ステファノスによるものだとされていて、フィロポノス本人のテキストは、ラテン語訳でのみ現存しているのだという。
しかしこのフィロポノス『知性論』(De Intellectu)は第3巻の第4章から第8章までの翻訳なので、第3巻の第1章から第3章、第9章から第13章までのフィロポノスのオリジナルは散逸してしまっているということになる。(つまりフィロポノスの表象論は散逸しているということ。)
そしてこのフィロポノス『魂について』註釈のアラビア語訳は存在しない。かつて存在したのに散逸したのか、そもそも翻訳されなかったのかも定かではない。とはいえ、イブン・シーナーはフィロポノスの名を挙げているし、彼の議論を見ると、明らかにフィロポノスを知っていた、そしておそらく読んでいたことは確かである。

・アレクサンドリアのステファノス(6世紀から7世紀)
もうここまで来ると、普通のひとには「誰だこいつ?」といったところだろう。
ステファノス自身の名前を冠している註釈としては、アリストテレスの『命題論』への註釈があるが(これもアラビア語世界に影響を与えている)、上にも述べたように、フィロポノスのものとして伝わっている『魂について註釈』のギリシア語テキストの第3巻は、このステファノスのものだという。なんともややこしい。しかもややこしいことに、アラビア語世界には、こちらの、いわば「擬フィロポノス=ステファノス」のテキストも伝わっていたと考えられる。しかも、こちらもアラビア語訳は現存しない。
形はゼロなのに影響ばかりあるとか言われてもどうするんだと思うけれど、伝わってしまっているから仕方ない。なのでイブン・シーナー(に限らず当時のアラビア語世界の人)が「フィロポノス」と言っているときは、フィロポノス本人のことを言っているのか、ステファノスの方を言っているのか気を付けないといけない。
この頃になると後期古代のアレクサンドリアの栄光はだいぶ翳りが見えてきて、641年には新興のイスラーム帝国の手に陥落する。Charltonによればステファノスの文章はきわめて保守的で、そこからは激動の時代に背を向け、古典の世界にのみ生きる絶滅危惧種の朴訥な教師像が浮かび上がってくる。ステファノス自身はキリスト教徒だったらしいが、註釈では同時代の出来事には全くと言っていいほど触れられておらず、まさに象牙の塔に籠りきっていたのかもしれない。

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